国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて
 |
人気ランキング : 733位
定価 : ¥ 1,680
販売元 : 新潮社
発売日 : 2005-03-26 |
 |
何が真実であるのか? |
2002年、著者と鈴木宗男氏は、マスコミのバッシングに晒され、刑事被告人として葬り去られた。当時、私自身も彼らの評価をマスコミを材料に行うしかなく、「何か悪いことをしたんだな」というぐらいの感じしかなった。
が、ベンシャミン・フルフォード「日本がアルゼンチンタンゴを踊る日」(光文社・700円)のP152〜154を読むと、彼らが嵌められた、といったことが記されていた。そういった視点がなかった自分には、驚きであった。
そういった中で、事件の中心人物であった著者の手記が発行された。
著者の文体は読みやすく、つぎつぎにページが進んだ。
又、手記の構成は時系列的に前後していくが、その構成がうまくつながっており、著者の頭の良さを感じた。
読み進むに従い、私は著者と鈴木宗男氏のファンになった。
確かにこれは手記であり、著者や鈴木氏に不利な部分は削られており、
また、ニュアンス的に彼らに有利な記載もあると思う。
それを抜きにしても彼らが私利私欲を捨て、国益の為に奔走したことは、ヒシヒシと伝わってきた。
又、彼らが感度が非常に高いことも文中からよくわかる。
例えば、「9.11事件」章において、こんな会話が交わされている。
「佐藤さん、アメリカでいったい何が起きたんだ」「よくわかりません。先生がおっしゃっていたアフガニスタンで北部連合のマス−ド将軍が殺された件と連動しているかもしれません(以下省略)」(P90)
当時マスードの暗殺を入手し、その関連性を指摘できた人物が何人いたであろうか?
決して日本は、情報に疎い国ではない、と感じた。
情報を活かしきれない国、情報を取れる人間を大切にしない国なのだ。
ぜひ、両名の名誉が早急に回復されることを切望する。
又、彼らを葬った人間は、誰なのであろうか?頭の弱い自分は、じっくり考えたいと思う。
 |
途中での感想ですが |
本書冒頭で彼は自分を「情報屋としては終わっている人間」と自己規定している。しかしこれからの人生を生きていくうえで何を仕事とし,どのように生きていくかということは獄中にあっては,「国策捜査」との戦いと同じくらい重要だった筈である。とすればこの本も彼の今後の就職活動の一環をなしているとも言えるのだろう。例えば与党政治家の多くに対して著者は非常に好意的な評価を述べているが,たしかに今の彼の置かれている状況では好んで敵を増やすような悪口は書けないわなー,と私も思う
勿論それは当然のことでありそれを悪く言うつもりも無い。しかし本書を読む場合には,ここに書かれている外交上の機微について,外務省は役所という性質上おいそれと反論できず,著者もそれを知悉していて,かなり自分に有利な事実,分析を選んで述べているのではないか?と思いながら読む必要はあるでしょう。。
勿論外務省の仕事の仕方,外交の現場での判断の仕方,交渉の勘所などの部分は非常に興味深く,それだけでも星5つに値します。良い仕事を情熱を持ってした人の記録は読んでいて心打たれる部分が多いですね。
 |
こういう才能を無駄にしてはいけない |
この本の素晴らしさはすでに紙誌の書評などで言い尽くされている感があるがあえて一言。
出版社は「売る」ために暴露本的要素を強調しているが、この本はより深く、日本の政治・行政のメカニズム、さらに国際政治のメカニズムに切り込み、その病巣を的確に抽出している。それが政治家や官僚の裏話(それだけでも十分に面白いのだが)としてしか読まれないとすればあまりに勿体ない。文章も素晴らしい。あらゆる行政官、マスコミ関係者、政治・行政系専攻の学者・学生に一読することを勧めたい。
著者にも一言。たとえ有罪判決が出たとしても、こういう才能をしたたかに活用する組織などがあれば日本の外交も本物だが、この本を読む限りそのような度胸も意志もないだろう。ならばせめて、言論界での著者の今後の活躍を祈る。
 |
本書は、自分の人生を考える参考書! |
本書を読んで、日中外交を米国抜きで進めた田中角栄元首相が失脚したことを思い出した。本書には米国側の視点が一切書かれていないが、日露外交についても日中外交と同様に米国抜きで進めたことが問題にされたという印象である。
本書は国策捜査で逮捕された著者と西村検事による闘いの記録であるが、仁義を大切にする二人の姿勢がこうした本では珍しく感動を誘う。
国策捜査について西村検事は次のように述べる。@“「これは国策捜査なんだから。あなたが捕まった理由は簡単。あなたと鈴木宗男をつなげる事件を作るため。国策捜査は『時代のけじめ』をつけるために必要なんです。時代を転換するために、何か象徴的な事件を作り出して、それを断罪するのです。」(287頁)”、A“「そういうことはできない国なんだよ。日本は。あなたはやりすぎたんだ。仕事のためにいつのまにか線を越えていた。仕事は与えられた条件の範囲でやればいいんだよ。成果が出なくても。自分の家族や生活を大切にすればいいんだよ。それが官僚なんだ。」(288頁)”
@とAについて著者は、こう述べる。B“西村氏にとって私が日露外交についての良き「教師」であったように、私にとって西村氏は国策捜査の内在的ロジックを捉えるための最大の“教師”であった。(284頁)”。
二人の教師のやりとりの記録は、自分の人生を考える参考書である。
 |
日本がわかる。 |
現場で行動を以て外交の本質を追求した人間の受難が語られる希有の書であると思う。外務省は外交をなす所ではなく、また拉致問題からも明らかなように日本はやはり国家たりえていないのだ。海国兵談を著して蟄居させられた林子平の時代から、この国は本質に目覚めた実践者を異端として退け犯罪者にせずにはおかない。本書から、それが悲しいほど理解できてしまう。一方、受難の中でなお本質への追究をあきらめない理性の燦然たる輝きに読者は圧倒されることだろう。日本の大学教授の本質に対する評価も核心をついているし、外交の本質に理解を示した検察官が左遷されるのも、日本であればこそと納得させられる。